小倉昇先生に出会えたのは、ふたりのジェラルドのおかげだ。ふたりは欧州トップクラスの武道家で、彼らの弟子が私の夫( カンフーパンダ)だった。
前者のジェラルド は、どこかで小倉先生にお目にかかる機会があったらしい。直ぐに小倉先生に惹かれて、先生のお弟子さん宅にホームステイをさせてもらいながら修行をした。彼は栃木に2回長期滞在している。無我夢中で居合の稽古をしていた。そんなこととも知らず、彼らの眼の前に私が現れた。小倉先生との意思疎通をはかるには、下手なフランス語でも、彼には私が必要だった。多いときには、一日に10回位うちに電話がかかってきたこともあった。約20年前のことだ。
その後、後者のジェラルドが引き継いだ。彼いわく「小倉先生のような人は国宝なんだよ」それを多くの私たち日本人が分かっているかどうかは、疑わしい。
ジェラルド宅の裏玄関には下駄箱のような棚があり、上から下へ月火水木金土と、曜日ごとに運動用カバンが置いてある。中には稽古着が入っていて、袋を一日ごとに替えて、稽古に行くと笑っていた。かなりの日本通で、どこで知り得たのだろうと思うような情報を教えてくれる。(中には古武道のビデオもある。こういう先生方もブリュッセルにいらっしゃるけども、日本語でしゃべって、しゃべって、しゃべって。何が何だかさっぱりわからない。知りたくてうずうずしている様子に同情した。確かに欧州には、日本文化が大好きな人たちがいる。最近も、桜の季節に日本に行くはずだったのにと、残念がるベルギー・ルクセンブルクの若者に何人か会った)
そんな彼への小倉先生の手紙には、「人の5倍の努力」をしなさいと先生に教わったとあった。「5倍」というのは寝ても醒めてもそれに集中しているということで・・。並大抵ではない。
私は「遊剣」の意味がわからず、小倉先生にお尋ねしたら下のような返事をいただいた。コロナ禍で思うように稽古ができず、ストレスを溜めた全国の剣友たちから、先生は様々な質問を受けたらしい。その返事書きと700枚〜800枚近い年賀状で、筆が持てないくらいの痛みを患われたとあった。
そのため、先生のお手紙をネットに載せる許可をいただくためにお電話した。先生の誕生日は1月25日。私のは先生の一ヶ月前。戌年の小倉先生とは相性が良い。電話で37分笑い合った。
「おばあさんになっても武道はできますか?」「はい、できますよ。うちに来たおばあさんが、私と同じくらいの年齢かな。5段をとった」その女性は、現在6段を目指しているそうだ。遊剣とは、子供のように無心に没頭することをいうのだそうだ。遊・楽>好>知。
私が思うに遊剣を音楽に例えると、神様と称されるエリック・クラプトンのような異才・ゴッドハンドまでに達することをいうのではないだろうか??
武道は勉強だけできるのでもなく、スポーツだけでもなく文武両道というのが良い。武道には、サッカーや野球にはない魅力がある。武道家はサッカー選手なら頭突きをするような相手の攻撃性を、非攻撃性や果ては口頭/倫理柔術でしなやかに笑いや敬愛にかえていく。けんかや争いをさけ、困難を何度も乗りこえていく。彼らの「元気」の気のおかげで長生きするのも、武道家とその同居人たち。武道をすると人生がかわるらしいが。武道を知る人と暮らすと、確かに良い人生がおくれる。twitter.com/busujiujitsu
小倉先生に「陰」の気配は感じられない。そんなものがあろうものなら、「陽」の消臭スプレーで、一蹴するような元気さ。シャープな記憶力。澄みきった青空がひろがるような快活さ。笑い声であふれる。それが小倉先生だ。
先生の話される事は面白いので、独り占めするのはもったいない。ぜひ本にしましょう。先生は嬉しそうに笑われた。いつか日本の良さについて書かねばと、思っている。